SとMの癒えない関係(番外編)



季節柄混んでいるのは仕方がないなと思っていたけれど──

「ママぁ…まだぁ?」
「もう少し我慢してね」
「…ぅん」

熱でグッタリしている娘の額に新しい冷却シートを張り替える。

昨夜からなんだかぐずっているなと思っていた。

今朝になって熱があった事に気が付き慌てて病院へと車を走らせた。


「大村さん、次診察ですので此方でお待ちください」

(あ、今呼ばれた人…確かあの人の後に来たから…次には呼んでもらえるかな)

看護師さんの呼びかけで大体の順番を計る。

季節が移り変わる時期の小児科は混んでいる。

本当はもっと空いている病院に行った方がいいのだけれど、どうしても出産した病院併設の小児科の方が安心してしまっていつも此処に来てしまう。

「ママぁ…」
「もうすぐだからね、頑張れ~」
「…ん」

初めての子育ては色々解らない事が多くて緊張の連続だった。

ふと目に入るのはお腹の大きな妊婦さんだった。

この病院は産科と小児科が併設されている病院だ。

広い待合室には子連れや妊婦さん、其々が混じって一緒くたになっていた。

(妊婦さん…大丈夫かな。こんな風邪っ引きの子どもがいる中にいて)

つい何年か前までは自分もお腹が大きくて、其の時も身近に病気の子どもがいるとつい気を使ったものだった。


「ママぁ…のど、かわいたぁ」
「え…ちょっと我慢出来ない?もうすぐ呼ばれるかも知れないし」
「…んん~~」

混雑している中、飲み物を買いに移動するのも億劫だと思ってしまう。

折角座れた席を開ける事にも、娘だけを置いて行く事にも抵抗があって焦っていると

「あの、よかったらこれどうぞ」
「え」

いきなり隣から何かを差し出されてギョッとした。

「娘さん、水分補給された方がいいと思いますけど」
「あ…で、でも…」
「遠慮なさらないでください。私、沢山持っているんですよ」

そう云って彼女は手提げからいくつかのゼリー状の飲料パウチを見せた。

「私、悪阻で何も食べられないんですけどせめて水分補給だけはと思って…こういうのなら大丈夫なので色々持ち歩いているんです」
「悪阻…」
「えぇ、これだとお子さんの水分補給用にもいいと思うので、どうぞ」
「あ…ありがとうございます」

随分若い女性から受け取ったパウチを娘に与えると「美味しい」と云って笑顔を見せた。

「大丈夫みたいですね。よかった」
「あの、本当にありがとうございます。何かお礼を──」
「要りません。情けは人の為ならずです」
「え」
「私もいつか何処かで困る事が起きるかも知れません。そんな時に誰かに助けてもらう事があるかも知れませんよね」
「はぁ…」
「そういう事です」
「…」

なんだか不思議な人だなと思った。

若くて美しい彼女の雰囲気に思わずボーッとしていると

「産科の加賀谷さん、加賀谷舞子さん、診察室にどうぞ」
「あ、呼ばれたので失礼します」
「え…かがや、さん?」
「はい──では」

ニッコリ笑って彼女は診察室に消えて行った。

(かがや…加賀谷って…)

其の名前をとても懐かしい気持ちで聞いた。

(加賀谷…かぁ)

もう随分前に其の名前だった時があった。

私の最初の結婚相手が加賀谷という苗字だった。

兄の友人として知り合った年上の彼はとてもカッコよかったのに性格は変に真面目で固くて。

だけど親しくなればなるほどに味わい深い人なのだと知って、気が付けば好きになっていた。

彼の方もがさつで女らしくない私を何故か気に入って受け入れてくれた。

彼の暗い生い立ちを知り、心から幸せにしたいと思った。

其の気持ちは決して嘘や偽りなんかではなく、だから結婚をして家庭を持とうと思ったのだ。

結婚という最高の形でハッピーエンドを迎え、私たちは幸せになるはずだったのに──


(……)


私は弱かった。

愚かだった。

彼の本当の心の闇を知って、救うどころか軽蔑してしまった。

あの瞬間、私は彼の心を大きく踏みにじってしまったのだ。


(…あぁ、厭な事思い出しちゃった)

私の人生から抹消したい出来事ナンバーワンの過去だ。


出来ればあの時に──


彼の真実を知ったあの瞬間に戻れたなら…

(今の私なら違った答えを出せたかもしれない)

今更悔やんでも仕方がない事だけど…


(願わくば)

先刻の女性の様な心優しい人が彼を支えてくれているといいなと思ったのだった。




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